Kotoyomu

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昨日の夜のこと。

息子が洗濯ばさみを使ってミサイルを大量生産していたのを見て、「そういえば春にやった『イーマルくん』に洗濯ばさみを使った遊びが載ってたよ」と提案。

 

「イーマルくん」とは、この春から受講しているZ会に出てくるキャラクターの名前。

毎月ワークと一緒に体験型課題が載っている「ぺあぜっと」が届くのですが、「身の回りにあるものから新しい遊びや発見をする」のが主な目標。

入会を申し込む前に届いたお試し教材に「洗濯ばさみを使って遊ぼう」的な内容が載っていたのでした。

 

3~4月の頃は、洗濯ばさみを使って色々器用に怪獣とか乗り物とかを作っていた息子ですが、久しぶりにこの課題に取り掛かってみると、私に向かって一言「この写真(冊子に載っているもの)と同じもの作って」

 

普段から息子はニューブロックとか使って、あれこれ作っていたので、

「えーこれよりもカッコいいの作れるじゃない~」とか

「別に写真通りじゃなくていいんだよー」と言ったものの

いや、写真のものを作りたいんだ、の一点張り。

もう夜も遅かったので、今日はここまでにしとこうと就寝。

 

半年前くらいまでは、やり方とか見本とか、そんなのにとらわれずに自由に作っていたのになあと思ったりもしましたが、「こういうのを作ってみたい」と見本?目標?となるものが出てきたのは成長の証なのでしょうか。

それとも失敗したくないという、ただの慎重派?

 

あれこれ母は考えてみましたが、今日の夕食後にやっぱり「写真のアレ作って」と言ってきたので、「じゃあ、一緒に作ってみようか」と声かけ。

写真のこの部分はどうなってるだろう?

ここのパーツはどうなってる?

そんなことを話しながら、カッコいいきょうりゅうが完成。

「くびながりゅうみたいだね」と笑う息子。

 

「これ作って」の真意は、「私が息子に完成品を提供する」ことじゃなくて「手に入れたい、見てみたいと思ったものに近づける手段が欲しかった」だけなのかなと気づかされる。

 

 

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